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牧之原市史料館で相良藩主・田沼意次の生涯と業績を再認識♪

相良梅園に行く途中、看板が出ていたのが牧之原市史料館。以前に国指定天然記念物「白羽の風触礫産地」に記事でも触れましたが、白羽から産出した風蝕礫がここに所蔵されているようなので、一度行ってみたかったんです(・∀・)
梅園からの帰り道に寄ってみると、牧之原市史料館の入り口には「相良城本丸跡」の石碑が立っていて、更に奥には「相良城址」の石碑と田沼意次像が立っていました。この辺りの歴史に詳しくないので知りませんでしたが、江戸幕府の老中を勤めた田沼意次の居城である相良城の本丸が、ここにあったようですヮ(゚д゚)ォ! もっとも本丸と言っても天守閣があった訳ではなくて本丸御殿があったようです_φ(・_・
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老猫が小・中学生だった頃、田沼意次というと賄賂政治家のイメージが強かったんですよね。長期政権で腐敗した田沼時代の悪政を、徳川吉宗の孫で理想主義者の松平定信が覆したのが寛政の改革だというイメージが定着していましたが、最近は新田開発や重商主義で幕府の財政を再建した有能な政治家・財政家だという評価に変わってきているようです。
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牧之原史料館の入場料は220円で、入館券が最近流行の「御城印」になっているのが面白いです(・∀・)  館内の展示は、7割くらいが田沼意次関係で、残りが郷土の偉人(鈴木梅太郎:ビタミンの発見者、山崎貞一:TDKの社長ほか)に関する展示と、相良油田に関する展示でした_φ(・_・
展示室内は撮影禁止だったので、展示内容を写真で紹介することは出来ませんが、意次の業績を顕彰するために描かれ、地元の小・中学生に配布された漫画「田沼意次物語-新時代への一手」の中のエピソードと絡めた展示がされていて、意次の経歴、出世の過程、郎従として取り組んだ製作について分かりやすく解説されていました。
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ちなみに父親の田沼意行は、紀州藩の足軽出身だったのが、徳川吉宗が将軍になるのに同行して小姓に取り立てられて小身の旗本になった時の禄高が300俵。
1735年に父親の死去に伴い跡目を継いだ時が600石。それが1772年には相良藩5万7千石の大名にまで出世したんですから、給料は37年でなんと95倍。サラリーマンに例えると年収350万円の新入社員が、定年時には3億3千万円くらいになってるイメージですから、身分が固定していて上昇方向への移動が限られている江戸時代では驚異的な出世ですよねヮ(゚д゚)ォ!
展示内容には、多少の地元贔屓や判官贔屓があるような気がしますが、これだけ出世したんですから、単なる賄賂政治家ではなくて、有能な政治家・財政家だったのは間違いないんでしょうね( ゚д゚)ハッ!
歴史の教科書だけでは分からない、地元ならではの田沼意次の評価を知ることが出来て勉強になりました。
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コメント

No title

跡取り息子がやらかしたわけではなく、努力して出世した方だったんだ( ..)φメモメモメモ
老猫さんと一緒で、物凄くイメージ変わりました。

Re: No title

> すむナビさん
老中まで出世したんだから、当然譜代大名出身だと思っていたので、まさか紀州の下級武士出身だとは思いませんでした。目からウロコの体験でしたよ。

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名古屋と北陸地方を中心に食べ歩き、見て歩きをした記録を綴ってます。 

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